支援者として仕事をすること~振り返りとこれから~①
おはようございます。
ふんわり~です(^▽^)/
最近雨が多いですね。
傘をさす機会が多くて、折り畳み傘しか持っていないので、大きな傘を買おうかな~と考え中です。
今日は、仕事として「支援する」について、過去を振り返りながら書きます。
この内容について考えるきっかけは、
授業で講師の先生方が、再三
「仕事として支援をしている」と、
言われることが自分の中で日々引っかかっていたことにあります。
私ははじめ、
「そんなん、わかってるよ・・・( 一一)
それはわかってても、それでも難しいんじゃん。。。」
という感じで、反発とまではいかないものの、
なんかもやもやする思いも抱えていました。
福祉の現場を一度経験しているので、その時の思いや記憶で、
「そうなんだ!!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」
みたいな素直に相手の言うことを受け入れることが難しかったんだと思います。
支援は、対人間なので、自分の思うようにいかないことは一杯あります。
それに、福祉の仕事以前は、
福祉とは縁遠い資本主義の根幹のような一般企業にいたもので、
特に”そのギャップに自分がついていけないし、対応してもいけない”という
がんじがらめの状態でした。
正直現場で働いていた時は、
福祉的な考えの人に囲まれ、そういう対応や意見を聞くと
「めっちゃ福祉だな~(-_-;)
福祉の中にいるならいいけど、それって一般社会で通用するのかな・・・」
という思いや考えが、ひそかに渦まいていました。
福祉の現場の人たちの中には
「だから企業の人は・・・!」みたいなことを言われている人もいましたが、
逆に企業の人たちからすると
「だから福祉の人は・・・!」と思われるんだろうなとも感じていました。
近しいところで仕事をしていた私が思うのであれば、
福祉の現場に入ったり、ちゃんと勉強したことのない企業の人が思って当然かなと私は思います。
ただ、勉強をすることによって、私が以前職場で見てきた支援の在り方が以前より理解できるようになりました。
福祉の人は、ちゃんと福祉の勉強をして、
これまでの福祉の歩みや原理などの背景を知っているからの支援だと思えました。
それは一方で、勉強のしていない人からすると、
『本質的に理解されるのは難しい独特な世界だ』とも思います。
なにせ、ここは資本主義社会が前提にありますからね。
ちょっと長くなりすぎるので、今日はここまでにします。
話途中で、とりとめがないと思いますが、お許しを~(*- -)(*_ _)ペコリ